もっと書評が必要です!私がみんなに「書評」を書いてもらいたい理由

今回は、私が「書評」というものについて感じることを書いていこうと思います。

わたし自身もこのブログで「書評」を何記事か書いていますが、ホントはもっと多くの人に書評を書いてみて欲しいという気持ちがあります。

だからこそ、書評って書きにくそうだなと思っている人のために、こちらの記事にあるようにテンプレートを作成して、手を出しやすいような環境を整えることに尽力しようと試みたワケです。

じゃあ、何故わたしがもっと多くの人に書評を書いてもらいたいと思っているのか

以下の項目で書いていこうと思います。

そもそも書評って何?

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一般的に書評って、販売されている書籍を紹介する目的で書く感想や論議の事を指しています。ですが、特にその書き方も内容も決まっている訳じゃありません。

わたしが作成した書評のテンプレートの項目だけ挙げてみると以下の通りです。

1.どんな本?あらすじは?
2.他の本と比べてどこがすごい?どこが面白い?
3.この本の1番の魅力的なポイントは?
4.筆者はどういう人?
5.本からどういう事を学んだ?
6.似たような本や読みたいと思った本は?

ただ、この項目設定には少し問題点があります。何だか分かるでしょうか?

それは、基本的に読んだ書籍を称賛する方向で書評を書くように誘導されてしまうということです。つまり、読んだ本が面白くなかった時に、このテンプレートでは書きにくいということですね。

何故このような項目になってしまったかというと、このテンプレートを作成するにあたって、参考にしたものが、読んだ論文の紹介や保存の為のテンプレートであったことが理由です。

まず、論文の紹介をする際には、つまらない論文を紹介しても仕方がないということがあります。紹介する以上、何か自分や周りの人間にとって新規性のある情報を伝える必要がありますから、読んだ論文の中に何か目新しい部分が無いと、まずこのような記録には残しません。

ただ、論文はつまらないけど読む価値があるものが沢山あります。紹介はしませんが、専門的な部分で必要な論文もあって、そういうものは自分で探せばいいのです。そこが一般的な書籍とは違います。

このような事情から、面白くない(あまり新規性の無い)論文はそもそも紹介する必要がないため、この書評用テンプレートも、価値のある書籍を紹介する方向に少し傾倒してしまっています。

ですが、書評ではむしろ「否定的な」意見をたくさん聞きたいなと個人的には思います。否定的な書評をたくさん書いて欲しいのです。

なぜ否定的な書評が必要なのか

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なぜ、否定的な意見が重要だと思うかというと、理由は1つ

それは、肯定的な意見が溢れているから。非常に単純な理由です。

書評を書く方の中には、3種類の人間がいます。

まずは書評を生業としている人。この人は基本的に書評を書くことによってお金を得ていますから、プロの書評家と言っても良いでしょう。

書評における書籍の賛否に関しては、恐らくの算段になってしまいますが、幾ら辛口と言われる書評家の人でも、明らかに全否定したまま書評を終わるということは無いと思います。本が売れないと書評を書いてもらった意味がありませんからね。ですから、書籍を賛美するような内容が割合としては多いように思います。

そして、広告を貼っているブロガー・アフィリエイターの人。私もこのカテゴリーに含まれますが、基本的には書籍の事を褒めます。これは書籍に限った話では無いですけどね。何でかと言われれば、その記事を読んで「この書籍を読みたいな」と思ってくれた人が書籍を買うことで紹介料が発生するからです。

そこで、ボコボコに書籍の事を批判して、あまり役に立たない本だと紹介しても全く売れませんから、紹介料も得ることが出来ません。だから、あまり否定的な記事は多くないでしょう。

そして、広告を貼っていないブロガーの人。このカテゴリーの方は自分の好きなように記事を書きたい方が多いと思うので、良かったと思う本も、悪かったと思う本も好きに書くことが出来ます。恐らく賛否は半々程度ではないでしょうかね。

ということで、全体的に加味すると、ネット上に存在する書評記事には否定的なものが恐らく少ないのではないかと推測されます。否定的な書評は貴重なんです。

書評が求められる社会

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そもそも、このような書評が求められるのは何故なんでしょうか?

私が考えるに、今の社会では情報過多で、誰かのおすすめや評判を聞かないと購入するものが絞り切れない状態に多くの人が陥っているように思います。これは書評に限った事ではありません。

例えば、似た様な3件の焼肉屋さんがあります。どのお店も価格帯は似た様なものです。

1件目は「当店のハラミは絶品です!
2件目は「秘伝の味噌ホルモンが抜群に美味い!
3件目が「厚切り牛タンの旨味がヤバい!」というキャッチコピーです。

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さて、どのお店を選びますかという段階で、少しお肉に詳しそうな人が、3件目の牛タンは本当に美味しいから是非行った方が良いって美味しそうな写真を見せてくれたら3件目に行きたくなりますよね?

様々なサービスにこのような「おすすめ」やおすすめ具合を数字で表した「ランキング」が用いられていて、こと日本人にはとても人気があるコンテンツになっています。

これほど情報が溢れる前は、一部の本やテレビで紹介されたものが爆発的に人気を上げて、他のものは知る人だけが知っているという扱いで良いものが広まっていました。

ですが、多くの情報に触れられるからこそ、自分ではその情報を処理しきれずに、専門家と思われる人や、自分が好意や信頼している人の発現を鵜呑みにしがちになっています。その方が圧倒的に楽だからです。自分で何かを決めるというのは思っている以上に精神力が削れます

ただ、1部の人の発する情報を盲目的に信じてしまうのは良くありませんよね。だからこそ、多くの人が、読んだ本はしっかりと書評として残して、共有の知識としていくべきだなと言う風に思っています。

固定観念的に本は永遠に残っていくと思いがちですが、今の時代では簡単に消え去っていきます。ネットの情報の方が長く残るかもしれません。

ただ、良くあるような数行で賛否だけ示す様な書評はあまり役に立ちません。

下手でも自分の言葉である程度の分量を綴った感想の方が読んでいる方には伝わります

褒めるにしろ、問題点を指摘するにしろ、その人の書いている文脈こそが、本当にこの本を良いと思っているのか、悪いと思っているのかということを伝えてくれる手助けになってくるんです。

最近ではタイトルが盛りに盛られている書籍(ブログもですが)が非常に多くてパッと見では判断がつかないですし、読みだすと時間もお金も使う行為なので、もしあまり質の良くない、またはタイトルにそぐわない内容だった場合に、ロスが非常に大きいです。

そういった事態をなるべく避けるためにぜひ多くの人に書評を書いてみてもらいたいと思っています。もちろんおすすめの書籍を紹介するのも良いと思いますが、否定的な書評はとても貴重です。肯定的な意見だけでは、これまた判断が難しいですからね。

私も未熟ながら、これからも書評を書いていきたいと思います。