仕事は3年間続けるべき?自分のスキルを言語化する重要性を解説

こんにちは、Ichi先輩@Abstract1Life)です。

今日は3にまつわるお話をしていこうと思います。日本人って本当に3という数字が好きですよね。ことわざの中にも印象的なものが多数あります。

  • 石の上にも
  • 仏の顔も度まで
  • 日坊主
  • つ子の魂百まで

それぞれのことわざの意味は言わずもがなですが、この3という数字が1つの「区切り」として用いられていることが分かります。ことわざというものは昔から伝承されてきているものですから、やはり何かしらの経験則がそこには入っているのでしょう。

現代の3の使い方

現代でも3を使うのは流行なのか、例えば「同じ職場で最低3年はやってみろ」とか「3回誘いを断られたら誘うのをやめろ」という話を聞く事があります。

一説には、現場の仕事を覚えて一人前になるのに3年かかるとか、洗脳されてやめる気がなくなるのに3年かかるとか言われますが、そうなんでしょうか?

3年という期間を日にちに置き換えてみると、1,095日です。時簡に変換すると26,280時間、何だかワケが分からなくなってきますね。私の主観で捉えると、3年と2,6280時間は長く感じますが、1,095日は短く感じます。

それで、3年問題ですが、私としては単純に期間で物事を語るのは非常に安易だと思ってしまいます。もちろん管理側の人から見たら、いちいち個別に見て判断する手間をかけられないので、一種の線引きをするというのは正しい判断かも知れません。

でも、私が問題にしたいのは、その3年でいったい何を得たのか、身に着けたのかということを言語化できないという点です。

言語化の必要性

私が知っているのは研究と教育の現場なので、その目線で見ることになりますが、基本的に研究分野では個人の業績が非常に重要視されます。業績として認められるのは、論文、学会発表、社会貢献、講演等々です。

業績とひとまとめにしてはいますが、基本的には自分がやってきたことを1つ1つ言語化する必要があります。

こういう背景があって、目標を立てて、こんな方法でやってみたら、こんな結果が出ました。なんでこんな結果が出たかと言うと、こうだからです。という展開を組み立てることが、おのずとその人の評価に繋がります

つまり、人を評価するにあたって、それぞれの人物がどんなことが出来るようになったのか、どんな結果が出たのか、ということを自分の言葉で語らせるということはとても良い方法だと思っています。

わたし的には、この言語化の作業を行っていない企業や団体が多いことは非常に残念です。単純に年数での評価は大味すぎます。

例えば「人柄」などで評価される場合もありますが、結局フィーリングによるものが大きく、「プロジェクトの成功」等に関してはしっかりと役割と行動自体を評価対象にするべきですよね。

言語化の方法は、書類にする方法だったり、スライドにして発表と資料にしたりと色々な方法がありますが、基本的には後に残るという性質が、評価やこの後に語る教育にも有効に活きてきます

ちなみに、発表をするのであれば、そのプレゼンの仕方によっても印象が変わってきますので、こちらの私の体験を言語化した記事をご覧いただくといいと思います。

言語化は教育にも繋がる

言語化するということは、評価だけでなく、教育を行うために有効な手段であり、常に後進を育てる必要がある社会にとっては非常に重要な事柄です。

もちろん言語化が難しい部分もあります。特に事務的な業務ではなく、一種のコミュニケーションを伴う部分です。この点はいわゆる職人の伝承問題にも通じるものがあります。「技は見て盗め」という文言は長らく語り継がれてきました。

ですが、私から言わせれば、それは教育の怠慢です。コミュニケーションに関しても、「技」に関しても、最低限の言語による教育は可能ですし、明らかにその教育があった方が成長スピードは早いでしょう。

それに、今は言語化せずとも、動画や写真と言った手段での伝承も可能です。過去には実際にその場に居合わせ無ければならず、時間の関係で1度しか見せてもらえない何てことがありましたが、動画を撮れば場所と時間を問わずに学習することが出来ます。

では、何で言語化したり、動画や写真などのメディアに頼らないんでしょう?

忌まわしき伝承

そもそも、言語化するような文化が無いということも挙げられますが、これは、恐らく「妬み」の感情が強いのではないでしょうか。

ここであえて、ポジティブな理由を考えるのであれば、集中力を高めた状態で学習ができるということだけれど、理由としてはかなり薄いように感じます。

「1回しか言わないからメモをとれよ!」とか言うなら、マニュアル作ろうよって話だし、「自分は必死にメモとったから、こいつにもその流れを伝承しよう」という考えがこの負の連鎖をもたらしているとしか思えないですね。

その根底にあるのは、お前だけ簡単に教えてもらえるのはずるい、という「妬み」の感情に他ならないと思います。

この感情の問題を解決するのはなかなか難しいですね…。

あとがき

色々書いておいてなんですが、基本的にこういうこと言う奴って性格悪いから、あんまり気にしなくていいと思います。性格が悪いというと、語弊があるかもしれないので、言い直すなら理屈屋というか、なぜなぜマンというかそういう人ですね。

「石の上にも三年」とか言われたら、「え、何で?」とか無粋な質問しちゃうからね。

でも、そういう風に思っていることもあるよ、と受け取ってもらえるとありがたいです。個人的には言語化をすることはとっても大事に思っていて、ブログなんかも言語化ですから、これからも続けたいなと思っています。