梅佳代さんの写真から考える!写真の評価方法を考察

こんにちは、Ichi先輩@Abstract1Life)です。

先日、いつものように本屋さんをぐるぐるして、色んな本を漁っていたんですが、ふと梅佳代さんの写真集を見て「何でこんなに引き寄せられる写真なんだろう?」って思ったんです。

梅佳代さんの写真って、かなりの割合をポートレート(人物の写真)が占めているんですが、とっても綺麗なモデルさんを映した写真(子どもを綺麗なモデルと言うのであればかなりの数ありますが)とかそういう写真はほとんどありません。

大体は、本当にどこにでもあるような日常の中のワンシーンを切り出している写真なのですが、その1枚1枚がなぜだか非常に魅力的に感じるんです。だから、梅佳代さんの写真集って大好きです。

ここで冒頭の疑問に戻りますが、この写真が何で魅力的なんだろう何で引き寄せられるんだろうって思ったわけです。

注意

本記事で使用している写真は梅佳代さんの撮った写真ではございません。

感覚的な評価

以前のエントリーでは、言語化の重要性を散々説いていますし、基本的に科学ってものは具体的に数字で評価する事が多い分野です。

ただし、私自身は結構感覚派な部分があって、自分の発言は感じるままに言いだして、話している中で後追いで理由付けする感じに近いことを普段しています。だから、結構モノを評価するときに「なんとなく」って理由付けをしてしまうことも多いです。

多くの人も、いちいち絵画や写真などを見て、理由付けすることは少ないんじゃないでしょうか?でも今回はちょっとその理由を深堀してみようと思っています。

プロの評価

芸術におけるプロの評価も感覚的になっていることが多いように感じます。ですが、それは恐らく技術評価の積み重ねの上に成り立っている「感覚的評価」であって、我々の言うところの「良さそうな写真」「綺麗な写真」という評価とは意味合いが異なってくるはずです。

フィギュアスケートであっても、技術の基礎点に加えて、技の表現に対して点数がつけられているけど、その部分の加点の基準に関しては曖昧であり、審査者の今までの経験の積み重ねがその評価に表れているように思います。

つまり、基礎技術を積み上げることによって、それが徐々に抽象化していく感覚と言ったらいいんでしょうか。ピカソの絵の変遷に似たようなものを感じます。最終的にはその評価を他の人にも共有できるように言語化出来たら良いのですが、そうはいっていないのが現状です。

写真の評価

それで、肝心の写真の評価ですが、技術点、構図点、被写体点の3点で評価できるように思っています。専門家ではありませんので、詳しい解説はできませんが、大まかに評価点を解説します。

技術点

技術点は言わずもがな、カメラの取り扱い技術に関する点数です。焦点をどこにもってくるのか、どの位絞るのか、シャッターの速度はどうするか、そういう技術的な部分です。撮った後の処理というかトリミング的な部分もこの点数に反映されるかもしれません。

構図点

構図点は、対象に対して、どのようなバランスで画面内に配置するかという点になります。

しかし、フィルムの時代には撮ったものの再構成が効かなかったものの、現代ではリサイズやトリミングが可能なので、撮る際のテクニックの必要度は落ちてきていて、どちらかと言えば技術点に近い扱いになってきているのではないでしょうか。

ただ、対象をどういった角度で撮るのかという点については更正ができないので、そういった部分では撮る時に考えが必要です。

被写体点

最後に被写体点ですが、恐らくプロのカメラマンになって、点数が変わってくるのはこの部分でしょう。ポートレートにしても、風景にしても、その被写体がどんな表情やしぐさをしているのか観察して、ここぞという時にシャッター切ります。

その被写体の見せる姿が、見る人に神秘的な感覚を与えたり、感動させたり、ほっとさせたり、怒りを覚えさせたり、笑顔にさせたり、色々な感情を与えます。

写真における評価で、コアとなっているのはこの被写体点で、技術点と構図点が足し合わされたものが、この被写体点に乗算されるというのが個人的にしっくりくる考え方です。コアなので、被写体点は100点満点、技術点と構図点は10点満点としましょう。

写真の評価=被写体点×(技術展+構図点)

例えばプロ2人が写真を撮ったとして、技術点、構図点はそれぞれ満点だとして、被写体点が100点と90点だったら、2000点と1800点で200点も差が付きます。その位、被写体の力って大きいと思っています。何の根拠もないですけど。

でも、どんな写真展の評価基準を見ても、抽象的な基準しかないので、恐らく最終的には経験を積んだ人の感覚や印象に頼るしかないんだと思います。

もし、この写真の影響を具体的に表したいのであれば、写真を見る前後で、見た人の状態を何らかの尺度を用いて評価すれば良いわけです。ペットセラピーとかミュージックセラピーとかそういうものの評価は大体こういう手法で行われていますし。

もしかしたら、良い写真と悪い写真で見た人に与える影響が違うかもしれません。でもその実験をするとしたら、そもそも良い写真と悪い写真をどう定義するかという部分で腕の見せ所になると思いますね。

プロと素人の写真で比べるのはアリだと思います。誰か研究してみて欲しいですね。

何で梅佳代さんの写真が良いのか?

この評価の話を踏まえたうえで、何で梅佳代さんの写真が良いのか考えてみると、もちろん被写体点が良いのは分かります。その中でも、その写真から、常にカメラを生活に溶け込ませている、生活感みたいなものを感じさせるという点が良いのだと思います。

おそらく、1枚1枚は何気ない写真に見えて、その写真を撮るために、常に注意を払わなければいけないし、常にカメラを準備しておかなければいけません。その「常に」という生活の一部となっている感覚が写真に表れて、ああいう表情を見せてくれるんでしょう。

何だか自分でも撮れそうな気がするんだけど、そういう風に狙って撮るとスベる予感しかしません。不思議です。

写真というものは基本的に本物であるものの写しであって、ある意味劣化版とも言えます。これはプラトンの哲学で考えると明らかに、イデア(本質)のミーメーシス(模倣)のさらにミーメーシス(模倣)です。*1

しかし、その模倣の模倣である写真に私たちが何かを感じるのは、オランダの哲学者であるウェルデニウスの言うところの、芸術には本質に通じる回路があるという解釈に沿うものでしょう。良い写真を撮るのって難しいですよね。

*1:イデアのミーメーシスが実際に私たちが見ている世界のモノで、それをさらに模倣しているので、写真は、イデアのミーメーシスのミーメーシスとなる。